灯籠流しで、原爆写真展で、防空壕見学会で…「戦争に思いはせるきっかけに」 都内各地で悼む催し

終戦から79年。戦地での記憶をつなぐ発見は今もあり、遺族は不戦の誓いを新たにした。東京都内では15日、悲惨な戦争を繰り返さないとの思いを込め、空襲で亡くなった人の慰霊や、戦時体験について考える催しがあった。

◆「二度と戦争がない世を次世代に」

江戸川、江東両区境を流れる旧中川の「ふれあい橋」付近で15日夜、「旧中川東京大空襲犠牲者慰霊灯籠流し」が5年ぶりに催された。鎮魂の願いを込めた絵や言葉をしたためた白い灯籠約1500個が水面を彩った。

旧中川に灯籠を流す人たち

1945年3月の東京大空襲で、旧中川両岸の現在の両区一帯では、猛火に追われ川に飛び込むなどした住民ら約3000人が命を落としたとされる。

灯籠流しは、1999年から両区関係者の実行委員会が終戦の日に開いてきた。2020年から昨年まではコロナ禍や台風の影響で献花式のみだった。

橋の上で式典があり、実行委の岸稲尾(いねお)委員長が「本当に戦争ほど悲惨で残酷なものはない。二度と戦争が起きない世界を次世代に引き継ぎたい」とあいさつ。両岸で参加者らが灯籠を川に流した。(鈴木里奈)

◆「あまりにもむごくて心が痛む」

原水爆禁止署名運動の発祥の地である杉並区では15日、区役所で開かれている「原爆と人間」展の会場で、来庁者らが広島・長崎の惨状や被爆者の活動を伝えるパネル約30点などに見入った。

広島と長崎の原爆の惨状を伝える展示=杉並区役所で

展示は区内の被爆者でつくる「杉並光友会」が毎年この時期に開催。広島の高校生たちが被爆者から証言を聞いて描いた絵は、川にひしめく被爆者など悲惨な状況を克明に伝える。

訪れた区内の女性会社員(32)は「あまりにもむごくて心が痛む。世界で戦争が多発しているので、戦争のない世界になってほしい」と話していた。

生後間もなく原爆投下後の広島市に入り、被爆した同会の原征夫(ゆきお)副会長(79)は「関心が薄れていくのではないかという危機感がある。日本が核兵器禁止条約に参加していないのは残念なことで、広く考えるきっかけになってほしい」と願っていた。展示は16日午後4時まで。(浜崎陽介)

◆「戦争があった時代を忘れてはいけない」

葛飾区柴又の区有形文化財「山本亭」の地下に残る防空壕(ぼうくうごう)の見学会が15日あり、参加者85人が戦時下の暮らしに思いをはせた。

コンクリート造の珍しい防空壕を見学する参加者たち=東京都葛飾区で

山本亭は実業家の元邸宅で、防空壕は終戦の日付近に限定公開される。急な階段を地下へ下りると重厚な鉄扉があり、コンクリート壁の6畳ほどのスペースが二つある。当時まだ珍しかったシャワー室や、金庫も備え付けられている。参加者は熱心に写真を撮ったり、学芸員に質問したりしていた。

同区の主婦佐々木明美さん(57)は「今はこうして平和な日々を過ごしているが、戦争があった時代を忘れてはいけない。こうした行事は思い出すきっかけになると思う」と話した。(鈴木里奈)

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